和紙の産地②
2022.12.28 | NEWS | コラム
以前のブログで国内の和紙産地を取り上げました。今回は紹介から漏れた産地をご紹介していきます。
和紙の産地5選
小川和紙
埼玉県小川町は埼玉県のほぼ中央に位置し、槻川・兜川流域の小川盆地にあり、槻川・兜川はともに小川和紙の楮を晒す場所として知られています。
奈良の正倉院に保存されている正倉院文書『図書寮解』には、宝亀5年(774年)に、武蔵野国から「武蔵国紙480張」が納められたという記録が残されており、これが小川和紙に関わる最初の史料とされます。
小川町に隣接する東秩父村は槻川上流の山間に位置し、奈良時代から約1300年の歴史を有する小川和紙の発祥の地です。ユネスコに登録されている細川紙は小川和紙の一種として珍重されてきました。
江戸時代には江戸に最も近い紙里として発展し、江戸の紙需要を支えました。江戸には問屋仲間が形成され、幕末には年産二万両に達しました。小川和紙は「ぴっかり千両」と称され、江戸時代後期には紙漉き屋が750軒を超す大産地に成長しています。「ぴっかり千両」とは、冬の日差しは値千金で、村中が紙を干す白さに染まり大きな儲けを生むことが由来とされています。
阿波和紙
徳島県吉野川市山川町で紙漉きが始まったのは約1300年前。歴史書『古語拾遺』に、朝廷の祭祀を司る忌部族(いんべぞく)の祖、天日鷲命(あめのひわしのみこと)が阿波に来て麻と楮を植え、祭祀に必要な布や紙の製造を広めたことが記されています。奈良時代には忌部氏が漉いた紙が朝廷に献上された記録が残っています。平安時代、紙を上納する国は40数か国あり、この中に徳島も含まれていました。1585年、産業の4木として、楮・桑・茶・漆を定め、特に楮(製紙業)が保護奨励されました。江戸時代には、阿波藩で紙専売制がしかれ、紙漉きが発達しました。明治維新以降、消費生活の変化に伴い紙の需要は激増し、最盛期を迎えます。典具帖紙や骨皮紙などを、パリやシカゴの万国博覧会に出品し、評判を得ました。
しかし、大正時代に入り大量生産の機械製紙に対抗できず、最盛期に250戸を数えた製造戸数も大正10年に159戸になり、昭和3年に40戸、現在では専業は1社となっています。昔ながらの技法は継承され、昭和45年には徳島県無形文化財に指定され、昭和51年、経済産業大臣により伝統工芸品に指定されました。
因州和紙
鳥取県鳥取市青谷町と佐治町が主な産地であり、その歴史は古く、『正倉院の和紙』(1970年)の中では、『因幡国屯倉計帳断簡(いなばのくにみやけけいちょうだんかん)』(721年)を現存する最古の因州和紙として紹介しています。平安時代の『延喜式』には「因幡国から朝廷へと献上された」という記録が残っています。
江戸時代には、藩の公務で使用する御用紙の自給を目指し、盛んに生産されました。因州和紙の原料である「楮」、「雁皮」は亀井候文書にて「切ってはならない木」と記されています。鹿野藩初代藩主の亀井茲矩は楮・雁皮の保護政策を取り、青谷の夏泊港を拓き、朱印船をたてて因州和紙の輸出を行いました。
1975年1月に、全国の和紙産地に先駆けては和紙として初めて『国の伝統的工芸品』に指定され、1976年8月には『因州佐治みつまた』並びに『因州青谷こうぞ紙』が鳥取県無形文化財に指定されました。
戦後、コピー機などの事務機の台頭や生活様式の激変で、主力製品であった事務用薄葉紙や障子紙などが壊滅的な打撃を被りました。そこで因州和紙は新製品として画仙用紙などの書遺用紙と工芸紙、染色紙を開発、特に手漉きの高級画仙用紙は現在日本有数の生産量を誇っています。
越中和紙
富山県下新川郡朝日町・富山市で製造されている越中和紙は、五箇山(ごかやま)和紙・八尾和紙・蛭谷紙(びるだんがみ)の総称で、その名称は国の伝統的工芸品の指定を受ける為に昭和59年につけられました。それぞれの産地では、旧来の名前を使っていますが、公的な文書や対外的な展示会などでは「越中和紙」に統一しています。
五箇山は、「五つの谷の山」がその名の由来と言う、平家の落人が住み着いたとの伝説を持つ庄川沿いの山間の地域です。江戸時代には御料紙である和紙を産出していました。五箇山平地域で作った中折紙が、当時の越中(富山県)を治めていた加賀藩二代藩主である前田利長公に贈られた記録が残っています。以後、加賀藩の手厚い保護を受けながら発展していきました。
八尾は、富山から飛騨に抜ける街道沿いに在る寺院門前町で、かつては蚕種と紙の生産で栄え、町には問屋が立ち並び、井田川沿いに開けた地域の下流には桑畑が、上流には楮畑が広がっていたと言います。八尾の和紙作りは室町時代にはじまったとされ、日本全国に名を馳せた富山の売薬の包装紙の生産などで繁栄しました。
蛭谷は、北アルプスの定倉山を源とする小川の畔にある小さな集落です。標高はさほどないものの、辺りを1,000mを超える山並に囲まれた静かな土地です。かつては永らく和紙を産出してきた集落でしたが、現在はただ1軒が残るのみとなりました。
越中和紙は、全国的にも最も若い後継者のいる産地で、伝統的な楮紙や染紙などの古典和紙はもとより、新しい工芸和紙や和紙加工品、観光土産品の商品開発にも積極的に取り組んでいます。
大洲和紙
大洲和紙は、愛媛県大洲市内子町で作られている手漉き和紙です。清流小田川の水を使用し、伝統的な和紙の製法「流し漉き」で生産されます。漉きムラが少なく薄いにも関わらず、強度が高い為、特に書道用の高級半紙として重宝されています。
伊予の紙は平安時代の書物である『延喜式』にも記述がみられるほど古く、島根県高津神社に伝わる国東治兵衛の著書『紙漉重宝記』によれば「万葉の歌人柿本人麻呂岩見の国の守護として紙漉の技を起こしその技たちまちにして伊予の大洲に伝われり」と記されています。岩見の国の守護を務めた柿本人麻呂が紙漉きの技術を起こし、その技術が伊予の大洲に伝わったと言われています。
江戸時代には、大洲藩主加藤泰興が土佐の浪人である岡崎治郎左衛門を召し抱え、御用紙を漉かせ、また越前から宗昌禅定門が来村し、大洲藩紙漉の師としてその技術を指導し、藩内産業として繁栄を極めました。
明治中期より三椏中心の改良半紙が盛んとなり、明治42年より大正5年にかけ小田川に沿って多くの工場が続出し、明治末期には430戸を超える製造業者数となりました。
昭和52年10月には国指定の伝統的工芸品として登録されました。
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当社は大正10年に創業し、米どころである新潟県柏崎にて、日本酒ラベル、和菓子のお土産品など和紙を利用する印刷物を通して印刷技術を培ってきました。
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参考資料
◎『和紙の里 探訪記-全国三百カ所を歩く』菊池正浩 著(草思社)
◎『すぐわかる 和紙の見分け方』久米康生 著(東京美術)
◎越中和紙 HP
◎内子町公式観光サイト「内子さんぽ」
◎KOGEI JAPAN HP